コラム

弊社の中堅・大企業支援に関する取り組みがTKC会報に紹介されました。

TKC全国会の会報(2017年6月号)に弊社の黒田・伊藤のインタビューが掲載されました。

黒田 晃(くろだ・あきら)会員 昭和31年生まれ(56歳)。石川県出身。平成8年税理士登録、同年TKC入会。モットーは「いいこと聞いたらすぐ実行!」。
黒田 晃(くろだ・あきら)会員 昭和31年生まれ(56歳)。石川県出身。平成8年税理士登録、同年TKC入会。モットーは「いいこと聞いたらすぐ実行!」。
黒田 晃(くろだ・あきら)会員 昭和31年生まれ(56歳)。石川県出身。平成8年税理士登録、同年TKC入会。モットーは「いいこと聞いたらすぐ実行!」。
黒田 晃(くろだ・あきら)会員 昭和31年生まれ(56歳)。石川県出身。平成8年税理士登録、同年TKC入会。モットーは「いいこと聞いたらすぐ実行!」。

弊社代表社員 黒田晃がTKC東・東京会会長(24年7月~)に就任しました。

TKC全国会の会報(2012年12月号)に弊社代表社員黒田のインタビュー記事が掲載されましたのでご紹介します。

膝と膝をつき合わせ「開かれた東・東京会」を目指す
~伝統と新しさが交じるエリア街も人も温かいのが特徴~

── 東・東京会は平成二十四年五月に開業した東京スカイツリーのお膝元です。全国的にも注目を集めるエリアとなっていますが、どんな特徴がありますか。

黒田

管轄エリアは東京の東側七区で、古さと新しさの二面性を併せ持つ興味深い地域だといえます。観音様で有名な浅草や相撲の街・両国、「寅さん」で知られる柴又など下町情緒あふれる古い町が多い。また上野のアメ横、浅草の仲見世、合羽橋の道具街、浅草橋の問屋街など、昔ながらの元気な商店街が残っているのも特徴です。一方、有明の東京ビッグサイトや、ご存じ東京スカイツリー、東京ゲートブリッジなどの新名所もできました。伝統と新しい文化が混在している活気あるエリアだと思います。

事業者の規模としては小規模企業が、業種としては製造業や運輸業が多いですね。特に、足立、江戸川、江東の三区は東京の運輸事業者数の「トップ5」に入ります。下町で人情味あふれる地域でもありますから、江戸っ子気質の人が多いのも特徴です。地道に現場を回って社長と膝をつき合わせて仕事を進めるというスタイルが根付いている地域でもあります。
同様に、TKC会員も皆気さくで温かい人が多いです。きちんと目を見て、膝づめでお話をすれば「分かったよ」と言ってくださる懐が深い方ばかり。旧東京会の時代から活躍されている先達会員の先生方もたくさんおられますが、気軽に声をかけていただけるし、いろいろ教えていただける。地域も人も温かい雰囲気にあふれていて、本当にありがたいですね。

黒田 晃(くろだ・あきら)会員 昭和31年生まれ(56歳)。石川県出身。平成8年税理士登録、同年TKC入会。モットーは「いいこと聞いたらすぐ実行!」。

黒田 晃(くろだ・あきら)会員
昭和31年生まれ(59歳)。
石川県出身。
平成8年税理士登録、
同年TKC入会。
モットーは
「いいこと聞いたらすぐ実行!」。


~現場で活躍する職員の育成を重視研修を充実させ三年で一人前に~

── 地域会ではどのような役職を歴任されましたか。

黒田

平成八年にⅢ型会員としてTKCに入会してすぐ、ニューメンバーズ・サービス委員会に入れていただきました。その後は東・東京研修所副所長、足立支部長、総務委員長兼副会長などの役をいただいてきました。ただ、どれも経験年数は非常に短いんです。支部長就任は平成十九年で、任期は二年間、その後の総務委員長は三年ほど。地域会の理事メンバーになってから五年で会長職なので、経験不足を感じています。

── 就任の経緯は?

黒田

総務委員長就任の時もそうだったのですが、須貝好明前会長から熱心にお声かけいただいたのです。総務委員長は「私はまだまだです」とお断りしていたのですが、当時副会長だった矢田全宏先生に「できない人にはお声はかからないから」と背中を押していただき、お引き受けしました。
ですから、しばらくは会長を支える立場で頑張っていこうと思っていたのですね。ところが今年になって須貝前会長が「次を頼むよ」と。副会長になってまだ三年。正直驚きましたが、「ぜひに」とのことでしたので覚悟を決めました。

── 就任早々、平成二十四年度基本方針を発表されていますね。

黒田

はい。一つめは、会員事務所の基盤整備・強化です。お客さまを元気にするにはまず事務所から。この基盤強化の中核が、実務やTKCシステムを体系的に学ぶ職員研修です。昨年から、「会計事務所勤務経験のない人でも三年で一人前のTKC会計人になれる」という独自の職員研修カリキュラムが始まっていますので、今後はこの研修の充実により力を入れていきます。また来年からは、会員の「生涯研修全員受講体制」への移行も実施していく予定です。

  

二つめは、会員増強と事務所承継の支援です。現在東・東京会で七十歳代以上の会員が占める割合は二〇%超、うちⅢ型・法人社員型会員がいる事務所は一八%弱。つまり事務所承継の体制が整っている割合は当会全体で五%に満たないのですね。そこで会員増強に力を入れて会の活性化を図り、同時にTKC会員事務所として承継していけるような環境整備にも努めていきたいと考えています。
三つめは、TKC全国会重点活動テーマの実践です。各委員長を中心に、皆で諸施策に取り組んでいこうと考えています。特にリスマネは、須貝明委員長が非常に熱心な呼びかけを積み重ねられた結果、平成二十四年七月末に登録事務所数で全国一位になりました。またシステム委員会とSCGサービスセンターが、e21まいスターやFX2の導入に一生懸命取り組んでくれています。おかげで九月末には、FX2シリーズの利用企業数の伸び率(前年比)は全国一位になりました。

── 職員としての勤務も事務所承継も経験されている黒田会長ならではの基本方針ですね。そのほか、力を入れていきたいことは?

黒田

書面添付ですね。実践会員数も実践企業数もいまひとつなので。ただ、これも職員をきちんと育てれば数字は後からついてくると確信しています。それから巡回監査士の拡大。私も巡回監査士なので、自ら巡回監査士バッジをつけて宣伝マンを務めています。

~若手や委員長を信頼しているから任せた以上口は出さない~

── 地域会の強みは何でしょう。

黒田

特に文京・台東支部や足立支部、江戸川支部で、若い世代の活躍が目立ってきていることですね。「経営者塾」「創業塾」の講師や、金融機関から依頼される経営改善計画の策定支援も頑張ってくれているので頼もしい。非常に期待しています。

── 今後の地域会運営のスタイルはどのように。

黒田

施策の推進については各委員長や担当副会長を全面的に信頼してお任せしています。任せた以上口は出しませんが、各委員長がスムーズに前へ進めるような援護射撃はしたいと考えています。たとえば、いろいろな会に顔を出して直接お話しし、「黒田が言うなら仕方ないな」と思ってもらえるような働きかけをして、各委員長がやりやすい環境づくりのお手伝いをする。そこにお酒があればなおよろしいですが(笑)。

── 会員への要望はありますか。

黒田

支部例会や研修に行くといつも同じような先生のお顔ばかり見るのですね。ですから、「お酒を飲むだけでもいいからとにかく会に顔を出して」と言いたいですね。それから会員間の交流を深めるような勉強会も、積極的に立ち上げてほしいなと思っています。
人間関係の基本は膝と膝をつき合わせて話をすることだと思っていますので、ランチミーティングなども始めました。会員間のコミュニケーションを深め、「開かれたTKC東・東京会」をつくっていきたいなと考えています。

当税理士法人の生い立ちTKC会報に記事が掲載されましたので、ご紹介します。

富士通の担当者からTKCを知り『合理化テキスト』で入会を決意

── 仲川先生が税理士を目指したきっかけを教えてください。

仲川

実は、大学に入るまで「士業」といえば弁護士くらいで、税理士という職業は知らなかったんです(笑)。大学三年生の時、商業高校の教員を目指そうと思って専門課程で法律や会計学、簿記等の授業を受講することになりました。

その授業の非常勤講師に税理士・公認会計士の先生が来ていて、よく授業後に飲みに連れて行ってくれて親しくなったのです。そうして話を聞いているうちに、「面白そうだな」と思ったのがきっかけですね。

大学三年生の終わり頃から試験勉強を始めて、資格が取れる見込みが出てきた昭和四十九年、懇意にしていただいた講師の税理士の先生の事務所に入所しました。ところが入所して一年半を過ぎた頃、その先生が病気で亡くなってしまいました。その出来事をきっかけに、昭和五十年一月、足立区の綾瀬で独立開業したのです。

富士通の担当者からTKCを知り『合理化テキスト』で入会を決意

左:代表社員 黒田 晃(くろだ・あきら)
右:先代所長 仲川勝利(なかがわ・かつとし)

── TKCとの出会いは?

仲川

当時、紙テープの穿孔機端末の普及活動にあたっていた富士通の営業担当者が、開業間もない事務所を中心にTKCへの勧誘をしていたのですよ。そしてうちの事務所によく来ていた担当者が、私と波長が合う人だったのですね。
その人から「事務所見学会に行きませんか」と誘われて、「五人組」(注)の会員先生の事務所へ連れて行ってもらいました。
そこで旧知の仲のごとく事務所の中や管理文書など何でも見せてくれて、その後、『電算機利用による会計事務所の合理化』(『合理化テキスト』)を読んで「これからはコンピュータの時代なんだ」と確信し、入会を決意。開業後約二年経った後の、昭和五十一年十二月に入会しました。入会後は飯塚毅TKC全国会初代会長と直接お会いしてお話を聞かせていただく機会も多く、「この先生の言う通りにやっていけばいい」という思いがありましたね。ですから私は入会以来ずっとTKC一本です。

── 巡回監査体制の構築はどうされていったのですか。

仲川

その頃は比較的お客様も職員も少なかったですし、私が音頭をとっていた部分もあって、巡回監査体制は比較的すんなり作れた記憶があります。ただ少ないとはいえ五十件くらいはお客様がありましたから、切り替えは苦労しました。
すべてのお客様に案内の手紙を出して、社長に一万円くらいで勘定科目印も買っていただいて。「何で勘定科目印を買う必要があるんだ!」と怒られたこともありましたし、解約をほのめかされたこともありましたが、結果的には一件も離れませんでしたね。飯塚初代会長から教わったノウハウを実践しながら、二~三年かけて徐々に切り替えをしていきました。

── 先生はOMSや継続MASなど、各システムが提供開始後すぐに事務所経営に取り入れていらっしゃったそうですね。

仲川

もともと新しいもの好きなんです(笑)。パソコンでもシステムでも、新しいものはすぐに使ってみたくなる。
機械やシステムは高くても長く使えるから、早く手に入れて早くメリットを受けた方がいいというのが私の考えです。初期の継続MASなどはシステムが重くて苦労しましたが、やっぱり使いこなして元を取らないと(笑)。ですから「使いにくいな」と思ってもほとんどのシステムは使い続けます。それが事務所の方針の一つでもありました。

── 事務所経営において一番大切にされていたことは何ですか。

仲川

地元密着型で、お客様の役に立つ会計事務所でありたいということです。
開業から五か所目となるこの事務所も含め、基本的には足立区以外には動いていません。地元で顔を知られて、お客様の役に立つ仕事を地道に続けたいとの思いで、三十年余り事務所経営にあたってきましたね。

(注)TKC全国会初期にあった、近隣会員の相互互助制度のこと。

会社倒産で転身を決意消費税導入で仕事に自信が持てた

── 黒田先生が税理士になったきっかけとは、どんなものでしたか。

黒田

実は私も税理士という職業は全然知らなかったんです(笑)。大学卒業後は六本木の貿易会社に勤め、税関へ提出する輸出入の書類作成の仕事をしていました。ところが昭和六十年(一九八五年)のプラザ合意で一挙に円高になり、輸出中心の会社でしたからそれ以来経営がおかしくなってしまって。事業所も横浜へ「都落ち」してしまいました。
会社が傾き始めた時は三十歳くらいで、転職が難しい年齢でした。当時は結婚もしていて子どもも二人いましたし、「生活のために何か資格を取っておかないといけない」と思って、まず宅地建物取引主任者(宅建)の資格を取りました。次は何を取ろうと思って本屋さんの資格コーナーを眺めていたら「税理士」が目にとまり、本を手に取ると一科目ずつ取ればいいとある。簿記も全然知らなかったのですが、とりあえず三級から始めてみようと思ったのがそもそものきっかけです。
昭和六十三年、三十二歳の時ついに会社が倒産してしまい、拾ってもらったのが仲川の事務所でした。当時としては年を取っていましたし、資格も簿記二級で実務経験もない。ほかの会計事務所は書類さえ通りませんでした。でも仲川だけは会ってくれて採用してくれた。そして昭和六十三年二月から働き始めました。

会社倒産で転身を決意消費税導入で仕事に自信が持てた

東武伊勢崎線竹ノ塚駅から徒歩7分の場所に
事務所を構える税理士法人NKC。
1階が受付・応接室、2階が監査担当者の
フロア、3階に会議室兼セミナー室がある。

仲川

黒田の面接はよく覚えていますよ。彼は当時住んでいた草加市から横浜の会社まで毎日約二時間かけて通勤していて、電車の中で簿記や税理士試験のテープを聞いたり参考書を読んだりしながら勉強していると言ったんです。しかも、座れるからと電卓たたいてまで勉強しているというのですよ(笑)。それを聞いて、「あぁ、それほど一生懸命に勉強できる人なら大丈夫だ」と思って採用を決めました。はっきり言ってそれがポイントでしたね。私は経験者でなくてもやる気があればいいという考えですから。むしろ会計事務所の「色」がない方がいいと考えていました。だからうちは元電気工事屋さんとか自衛隊出身の人とか、いろいろな業種の人がいましたよ。

── 会計事務所に転職されて、いかがでしたか?

黒田

最初は、とんでもない世界に来てしまったと思いました(笑)。源泉徴収票の見方すら分からなくて、初心者向けの税金の本を読んで勉強するなど、最初の三年間は本当に一生懸命でした。
ラッキーだったのは、入所翌年の平成元年の消費税導入です。法人税や所得税などは先輩に絶対かなわないけれど、消費税は皆「ヨーイドン」なので、「チャンスだ。絶対一等賞になってやる」と思いました。とにかく必死になって勉強したことで、自信を持てるようになりましたね。そうして勤めながら税理士試験の勉強と受験を続けて八年かけて資格を取り、平成八年、所内開業というかたちで事務所を開設したのです。

「これからは組織で経営する時代」と資格取得後に承継をいち早く打診

── 税理士法人への組織変更は平成十九年。黒田先生の開業から十年以上の時間が経っていますが、承継までのいきさつを教えてください。

仲川

もともと私は「同じ空気を吸った人に任せたい」という思いを強く持っていたので、黒田が全科目合格して資格を取った時に、「これからは組織として会計事務所を経営していく時代だから、これからも一緒にやってほしい」とはっきり言いました。

── 「同じ空気を吸った人に」と思われたのはなぜですか?

仲川

それまでずっとTKC一本でしたから、やっぱり「TKC会員でないと」という気持ちは強くありました。それに、私はTKCでも総務の役員を務めることがあり、立場上、合併や税理士法人改組の事例にたくさん触れていてその難しさを目の当たりにしていたので、「一匹狼」の狼同士が一緒になってもうまくいかないのではと考えるようになりました。そこでいつしか「私の事務所でずっと働いてくれた職員に任せたい」という気持ちが強くなったのです。

── 黒田先生はどんなお気持ちで受け止められたのですか。

黒田

この業界はこの事務所だけで、TKCシステムしか知りません。仕事も一から十まで教わってきたので、自分がトップになるかどうかは別にして、ここでずっと働きたいと思ってはいました。
ですからどちらかといえば、自然の流れとして受け止められました。

仲川

打診から十年くらい様子見をして、お互いの年齢も考え「そろそろいいかな」と思い、平成十七年の終わり頃、「あと一年くらいしたら代わってほしい」と本人に改めて伝えました。そして平成十九年、私が六十四歳の時に組織変更して、代表に就任してもらいました。

── 一職員から代表へ。立場の違いの難しさはありましたか。

黒田

はい。資格取得がきっかけで会計法人の経営陣になったり、法人内で「ナンバー2」の立場でTKCの会務にも出させてもらったりしていましたけれど、最終判断は仲川にしてもらえます。それが、代表になったら今度は自分で全部判断しなければいけませんからその違いは大きかったですね。それにもし失敗したら、職員とその家族を路頭に迷わせてしまうことになる。それだけはなんとしてでも阻止しなければというプレッシャーが強くて、最初の一年は「自分なりに一生懸命やるしかない」と、とにかくがむしゃらに走り続けていた感じです。

仲川

当時は二十件ほど担当を持っていて、実務も所内管理もしなければいけないというのが大変だったと思いますね。見ていて分かりましたから。本当に、よく頑張ってくれました。

会計事務所を「組織」としてとらえ民間企業にならい定年制を採用

── 仲川先生が六十四歳の時に承継されたとのことで、かなり早い時期のバトンタッチと思われるのですが。

仲川

基本的に私は何でも「徐々に」という考えが強くて、「気がついたらなんとなく変わっている」というのが理想的なかたちです。ですから自分が元気なうちにバトンタッチをして、何年か一緒に併走してあげれば承継がスムーズにいくと思いました。それに私に突然何かあった時、お客様も後継者も事務所の若い職員たちも困るだろうと考えていましたので、早く皆を安心させたいという思いも強くありました。
でも本当は、民間企業にならって六十歳でバトンタッチしたかったんです。会計事務所は個人事務所ですから、定年制でなくともいいでしょう。でも、そもそも私には「個人の事務所」という考えがあまりない。たまたま私が開業して代表を務めていただけであって、開業当初から会計事務所も「一組織」としてとらえていました。だから昭和五十六年にはコンサルタント会社(株式会社日本経営開発センター)を設立して株も職員に持ってもらっていました。組織である以上は定年制を採り、個人の考えを引きずらないよう次の人に潔くバトンを渡していくのが良いと思っています。

── 会計事務所も一企業であると。

仲川

そうです。だから改組にあたっては、法人名も「仲川」という名前が前に出ないよう、黒田ともう一人の税理士の伊藤と三人で「日本経営開発センター」の頭文字を取って「NKC」に決めました。名前が残ると、どうしても個人の思いが強くなってしまいますから。

トップが二人では職員もお客様も迷う任せた以上は絶対に口を出さない

── 承継して四年になりますが、仲川先生と黒田先生の役割分担はどうされているのですか?

黒田

基本的には、仲川のこれまでの経営手法をそのまま踏襲しています。私が代表として前面に出るかたちではありますが、資産税などの難しい案件は仲川に任せています。どうしても人間としての厚みや経験が必要になることが多いものですから。

仲川

特に相続は親族同士が罵声を浴びせ合う場面もあります。そういう人間関係の少し難しい仕事は若い人だとかわいそうだから、私が泥をかぶるようにしています(笑)。

── 事務所の方向性や方針などについて、アドバイザーとして一緒に議論をすることはありますか?

仲川

ありません。何か相談があれば答えますが、私からは言いません。任せた以上は黒田流の経営をしてほしいので、口出ししないと固く決めています。でないと代わった意味もありませんから。

── 今も毎日事務所に出られているとうかがいました。つい何か言いたくなるということがあると思うのですが……。

仲川

実の息子だったら口を出していたかも分かりません(笑)。他人だから言わないでいられるというのはあると思います。本音をいえば承継直後は少し心配しながら見ていましたが、しっかりした考えを持ってくれているので、黒田流を貫いてくれればいいと思っています。

実は改組時、会長就任の話もしてくれたのですが断りました。会長なら責任があるので口も出さないといけなくなります。それにトップが二人いても後をついてくる職員やお客様が迷うだけ。口出しするなら任せない。任せた後はもう口も出さない、手も出さない、仕事もしない(笑)。

黒田

よっぽど道が曲がっていれば「こらこら」と言ってくれるだろうと思っていたのですが、本当に何も言ってくれませんでした(笑)。でもそのおかげで好きにさせてもらっていて非常にやりやすい面もあって、感謝しています。

── 仲川先生から見て、黒田先生の頼もしいところはどんなところでしょう。

仲川

やっぱり若い人の感覚ですよね。TKCのシステムも、今はFX2( .NET版)やFX4クラウドなど、かなり進化していて私から見ると複雑になっています。また、我々の世代では上場企業の連結業務を見るということはありませんでしたが、今はそうした対応も必要です。
その点、黒田はシステムの進化にも連結納税といった時代の変化をとらえた業務にも積極的に取り組んでくれていますので、非常に頼もしいと思います。

── 承継後の課題を挙げるとすればどんなことがありますか。

黒田

お客様の年齢を調べると、高齢の方が多いことが分かりました。今後五~十年の間に関与先件数が減っていくと予想されるので、関与先拡大と経営承継支援が課題ではありますね。

仲川

関与先拡大はほぼ一〇〇%紹介なのですが、黒田が代表になってから若いお客様が増えました。類は友を呼ぶというか、若い経営者になると若いお客様を紹介してくれるんです。開業時は私もお客様も同じ年代でしたが、自分だけでなくてお客様も一緒に年を重ねていきます。私がトップであれば、私と同じ年代のお客様を紹介いただけるのですが、将来を考えると、経営者の年齢はお互い若い方がいい。新陳代謝が活発になって、かえって良いことだと思います。
経営承継支援については、事務所の事例があるのでこれを伝えていきたいですね。当事務所の事例を「経営革新セミナー」で話したら、実際にいくつかのお客様が、まだお元気なうちにバトンタッチをしました。会計事務所はお客様の模範となるべきと考えているので、そういった面でも効果があったと思います。

オープンな組織としてずっと存続して皆がのびのび成長できる場を提供したい

── 黒田先生に期待することは?

仲川

もともと地元密着型の事務所として三十年余り続けてきたので、同じように地元で信頼される事務所になってほしいですね。税理士はお客様と直に接する仕事ですから、とにかく地元で信頼されることが大事なことだと私は思っています。地元で信頼されればどんどん輪が広がっていきますから。もちろん悪い評判もすぐ伝わるので気を引き締めないといけませんが、若い経営感覚でもって、今の延長線上で続けていってくれれば充分だと思います。

もう一つ、組織としてずっと存続していくことが重要だと考えているので、組織として充実した事務所になってほしい。そのためには若い人を育てていって、また次の後継者にもスムーズなバトンタッチをしていってほしいというのが願いです。

オープンな組織としてずっと存続して皆がのびのび成長できる場を提供したい

毎年行っているという社員旅行。
写真は今年9月の東北旅行時のもの
(福島県・塔のへつり)。

── 今のお言葉を受けて、黒田先生の今後のビジョンをお聞かせください。

黒田

普通の会社は経営者が代わってもずっと続いていくものです。でも会計事務所は特殊で、「俺の事務所」という感じがあります。でも仲川には本当に「私」がない。それが事務所のカラーになっていて、承継をスムーズに行えた最大の理由でもあると思います。昔からずっと、所内の月次決算の数字はもちろん、仲川自身の申告書までオープンにしていましたし(笑)、事務所が儲かったら必ずその分を皆に還元してくれていたので、職員も皆一生懸命にのびのびと頑張れる。

給与体系もすべて明確ですし、年齢や経験にとらわれない、若手登用の体制もしっかりしていました。そうした経営の仕方を職員時代からずっと見てきましたから、私もより一層身ぎれいにして経営していかないといけないなと思っています。
仲川と同じように、私も「組織としての会計事務所」という視点で、今たまたまこの組織の代表であるという意識です。
つまり、ここに縁あって集まってきてくれた皆が成長して、家族やお客様が幸せになっていける場所をつないでいく役割を担っている。今はもう一人、伊藤という税理士もいますし、もう少しで資格を取れる者もいます。ですから皆で成長を続けて、「NKCに行けばなんとかなるよ」と地元の人に言ってもらえる事務所づくりを目指していきたいと考えています。

経営承継について

経営承継について

今、経営承継が注目を集めています。国が中小企業の事業承継円滑化のための総合的支援策を打ち出し、「中小企業における経営の承継の円滑化に関する法律」が平成20年10月1日から施行されたからです。

経営承継とは、企業の永続性を考えれば避けては通れない大きな問題であり、100社あれば100通りの承継の形があるものです。しかし、経営承継を大きな問題として把握している経営者さんは多くないように感じます。一般に、企業30年説といわれるものがあります。これは企業の寿命は30年くらいというもので、同一の経営者が30年以上継続している場合には、環境の変化に対応する力が弱くなり、企業は衰退していくと考えられます。そのため、経営者は30年位で交代するのが良策であると思われます。

実際に経営承継を行うためには準備期間が必要であり、長いと10年掛かる場合も考えられ、中長期的な計画が必要になってきます。この計画は、経営者が遅くとも50代から考えるべきもので、後継候補者との年令(最低でも後継者が15~20年トップにいることができる年令)や会社の業績、自分の体力など勘案すべきことは少なくありません。

実際の準備としては、以下のものが挙げられます。①後継候補者選び、②後継候補者の意思確認、③借入金の減少、④株主の整理、⑤仕事の全面移譲、などが主要なものです。①②は、これがないと話が進みません。③は、借入金が多い場合に後継候補者が経営承継に魅力を感じてもらえないので、できるだけ少なくしたほうがよいでしょう。④は、将来に後継者の弊害となる株主の登場を防ぐために必要です。⑤は、旧経営者が後継者に口を挟む余地を与えないために必要です。これらのことをした上で実際の経営承継を行います。

経営承継後にありがちな失敗としては、旧経営者が経営に口を挟む、退職後にもかかわらず給与を多くとるなどがあります。このようなことは、せっかく行った経営承継の効果が出ないばかりか会社にとってマイナスなものしかもたらしません。

経営承継には承継する人とされる人のしっかりとした問題認識と覚悟が必要と思われます。

税理士  仲川 勝利